日本人のオリンピック熱は世界でも有数で、過去に東京、札幌、長野で開催しているし、2020年には再度東京で開催される。

【東京に降る雪と椿の紅色の対比が妙】
今度の東京オリンピックなど、決まる前も決まってからでも反対意見は多かったが、今や誰しも諸手を上げて歓迎一色になり、オリンピック反対などを唱えればそれこそ『非国民』と呼ばれてしまい、ここでも日本人のすぐに何でも忘れてしまう集団性根を見る。
確かにオリンピック開催中は数々のドラマは生まれたが、しょせんあれは国際オリンピック委員会(IOC)とマスコミの組んだ興行に過ぎず、それを見て一喜一憂、踊らせ踊ったのが善意の人々及び商魂逞しい連中といって良いであろう。
特にIOCはサッカーのワールド・カップと同様に世界のスポーツ興行界に君臨し、マスコミの放映権料が数千億円という単位で入札、扱う額は1兆円に近く各国の関連裾野を加えたら何兆円もの規模になる一大業界になる。勿論、営利企業ではないからその使い道はスポーツ振興などと綺麗ごとを並べているが、IOCの組織が金まみれになっているのも衆知の事実である。
オリンピック開催国を決めるのはIOC委員の投票によって決まるが、その投票に賄賂が飛び交って買票行為は大っぴらで、時々IOC委員がその国の捜査機関によって贈収賄や脱税で摘発されるが氷山の一角にしか過ぎない。
今度の東京オリンピック誘致を巡っても不明朗な金、早くいえば裏金、買収資金が都側から流れたと一時は騒がれたが、そんなことがあったのかという具合で今や誰も関心はなく、決まったことに文句があるのかという具合が多数派。
IOCの加盟国は現在204の国と地域となっていて、これを国連と較べると国連は193ヶ国だから、IOCは国連を凌ぐ加盟数で、スポーツだけの組織とはいえIOCは恐るべき組織といっても過言ではない。
かつてIOC委員はその国の名士、著名人がなるが今やそういった流れはなくなり、その国の目立ちがり屋の政治家や財界人が多く、金と権力が無いと委員になれない仕組みになっていて、胡散臭い人物も相当多い。
このフィリピンを例にとると、2月23日に平昌オリンピックがたけなわの時にフィリピン・オリンピック委員会の会長選挙が行われ、24票対15 票の票決で2004年から委員会を牛耳っていた人物が落選、現職が落ちるという珍しい出来事があった。
落選した人物はアキノ前大統領の叔父に当たり、アキノ元大統領(母親)の実家の広大な砂糖キビ農園を所有する一族で、長年地元の下院議員の席に座っていて、いわば中世と同じ領主様で、こういった旧態の領主が現代にも残っているのがフィリピンの貧困の源ともいわれている。
この一族には独裁者マルコスが1986年にハワイに逃亡した時に、一緒になって逃げた有名な政商がいて、この人物はいつの間にか帰国して、財力に物をいわせてフィリピンの政財界に復権していて、かようにフィリピンの権力者地図というのは複雑怪奇。
オリンピック開催中に選挙をやるのも変だが、敗れた前会長は平昌オリンピックの開会式には出席し、勝った新会長は閉会式に出たのかどうかその辺りは分からないが、痩せても枯れても一国を代表するIOC委員だから開会式は破れた会長、閉会式には新会長が出て互いの自尊心を満足させるようにしたかも知れず、いかにもやりそうなことだが、実際は分からない。
なお、新会長はやはり地方の政治屋一族の一員で、マニラ首都圏に近い山の観光地として有名な市長がなったが、バックになるスポーツ団体はボクシング協会であった。
と書くように平昌オリンピックにはフィリピンから2人の選手が参加していて、そのニュースは情けないくらいほんの少ししか国内には伝えられず、国際的にはもっと伝えられていない。
フィリピンはオリンピックには関心はほとんどなく、韓国でオリンピックが開催されていること自体知らないのがほとんどで、日本の熱狂的なオリンピック熱が異常に感じるほどである。
雪や氷に縁のない南国だから関心が薄いのも当然だが、南国から冬季オリンピックに参加したのはこのフィリピンが初めてで、それは1972年の札幌大会というからその縁に驚くが、参加したのはスイスに留学中のフィリピン人高校生2人というから、これは超富裕層の出身で、国籍も2重なのではないかと思わせる。
この2人、親の財力に飽かして参加したと思うが、スキーの回天、大回転に出場し、回転では2人とも失格、大回転は1人が最後まで滑り切り48人中42位という結果を出した。
ただし、1位からは1分近く遅かったというから、少々上手いアマチュアのレベルで、こういうレベルでも一国に1人の出場枠があるためと、選手よりも国内オリンピック委員側に初参加の看板が欲しかったのではないかと思う。
平昌に参加したのはフィギュア・スケートの21歳で、彼は前回大会にも参加しているが前回は19位と健闘したが、今回は最初のショート・プレイ(SP)に出た30人中28位となり次のフリー・スタイル(FS)へ進めなかった。この時の得点は金メダルを取った日本の羽生の半分程度であったから、出来は良くなかったのは確かである。
ただし、フィギュア出場には他の大会で優勝したりする実績が必要で、それなりにこの選手は力はあると思うし、何よりもスケートを始めるきっかけは近所のモール内に出来たスケート場が始まりという。
セブにも大手のモールが出来た時にスケート場が造られ、小生も珍しくて滑った経験を持つが、スケートに縁のないフィリピン人が思いの外上手に滑っていて、ビックリした記憶を持つが、あれは海外の寒い国に住んでいるフィリピン人子弟が滑っていたのかも知れない。
そういった町のスケート場育ちで、出自も裕福とは思えないこの選手が続けてオリンピックに出られたのは支援者があってのことだが、もう1人参加したフィリピン人はアメリカ在住の2重国籍者で、ご都合良くフィリピン国籍で参加した。
オリンピックにおける国籍などどうでも良い時代に入っていて、国も選手もメダルが取れそうであったら、躊躇なく国籍を変えて参加していて、ある意味ではオリンピック憲章が唱える『オリンピックは国と国との戦いではなく個人の戦いである』を地でいっていると思うが、ご都合主義であるには変わりない。
さて、この選手は男子大回転の参加者110人中70位に終わり、本人も周りも晴れ舞台で滑れて満足であろうが、フィリピンでは何の話題にもならなかった。せめてメダルでも取れば話題になったかもしれないが、チャッカリ2重国籍を利用して参加するフィリピン人には寛容な国民性であっても無視するしかなかったようだ。
1928年の第2回アムステルダム大会でフィリピン人が水泳平泳ぎで銅メダルを獲得したのが、フィリピン最初のメダルと記録にはあるが、90年前のフィリピンの事情を考えると現地在住か留学のフィリピンの国籍を持つ人物の様な気がする。
そのメダル獲得ではフィリピンは冬季大会ではゼロだが、夏季大会では銀3個、銅7個、計10個の結果を残していて案外に健闘しているなという感じがする。ボクシングが強く半分の5個、水泳と陸上が2個ずつ、53キロ級女子重量挙げで1個の銀メダルを獲得している。
この重量挙げの銀メダルは前回のリオ・デ・ジャネイロ大会で獲得し、選手は国軍の兵士でありミンダナオ島出身のため、この時は同じミンダナオ島を地盤とするドゥテルテ大統領が大喜びして、報奨金500万ペソや住宅などが贈られ、国内マスコミも沸いたがその後は熱が冷めるのも早かった。
なお、最後にマレイシアが今回冬季オリンピックに初参加した。恐らく次回冬季オリンピックは中国の北京で行われるので、参加国を増やし史上最大の大会とぶち上げたい中国政府の意向が噛んでいるのではと思うし、アフリカ諸国からも俄かに参加国が増えそうな気がする。

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