第1回オリンピックは1986年にギリシアのアテネで開かれ、最近は言わなくなったが近代と付いているのは、古代ギリシアにあった競技会をルーツとするというのは小学校で習った。

【2010年撮影の今はない旧国立競技場】
その近代オリンピック開催を呼びかけた『クーベルタン男爵』も崇高な理想を実現した歴史上の人物として、また地球に住む人々が五つの色の違う輪がオリンピックで一つになる理念も小学校で習った。
しかし、今は国際オリンピック委員会(IOC)という世界最大級の『興行』組織が国家を巻き込んでの金儲け、利権の巣窟となり、商業主義に毒されたオリンピックに意義があるのかという議論が起きて久しい。 その様な中、2020年に開催されるはずであった第32回目に当たる東京オリンピックは新型コロナの世界的蔓延で1年延期され2021年に開催される予定だが、この1年延期も科学的知見に基づいて判断されたのではなく、何となく1年延ばせばコロナは収まるだろうという希望的観測から出て来たものでどうなるか分からない。 そういうあやふやな状況から、オリンピックを異常に好きといわれる日本人の間でも、開催中止、再延長と思う人が増えて予定通り開催を望む人々を凌ぐようになっているし、無関心派も増えている。 そういった厭な気分を払拭するようにIOCや日本政府、東京都は断固として予定通り開催すると必死に騒ぎ出しているが、そういう『やらなくても良い』気分になっている東京オリンピックを元のような熱に引き戻すのは至難の業だが、怒涛の如くマスコミは会期が迫れば持ち上げるから、国民は洗脳されるであろう。 オリンピックの認知度など世界で見れば関係者が騒いでいるだけで、一部の国に過ぎずフィリピンも例外でなくオリンピックが来年東京で開催されることはおろか、オリンピックがどういうものかも知らず、そもそも興味が無いのが実情である。 オリンピックに対する関心度はその国が獲得したメダルの数と比例し、それゆえ国威発揚を図りたい国はメダル獲得に遮二無二になるが、これは国の大小に関係ないものの、やはり大国と自称する国が露骨にやっている。 特に、東西冷戦を経て、アメリカ、ロシア(旧ソ連)、中国の間ではメダル取りが激しく、国家に養われるアマチュアと称する輩が大勢を占め、ロシアなどは違法薬物を使って強化し、それを隠蔽、胡麻化しているのがバレて競技団体から総スカンを食っているが、これは中国もアメリカも似ている。
日本は割合アマチュアリズムを貴重に思っている方だが、IOCの商業主義拡大によって、今時アマチュア云々というのが恥ずかしいくらいの時代になっていて、これは競技者を『アスリート』と呼ぶようになったのと軌を同一としている。
これら一流と称されるアスリートは企業に丸抱えされていて、日本の民間警備会社で最大手などはテレビCMにオリンピック候補選手を総動員して放映しているが、こんな露骨なのが問題にならないのがおかしいし、そのCMに嬉々として出ている連中も頭の中味はどうなっているのだと疑問を持つ。
もっとも東京オリンピックは広告代理店最大手の電通が誘致に始まり全て仕切っているから、今更CMがどうのこうのなど片腹痛いだけであろうが、それにしても広告会社が関わるようになってオリンピックが駄目になったのは確かである。
しかも、前々から指摘されていたが日本オリンピック委員会(JOC)が東京オリンピックを誘致するために裏工作をし、巨額な金を使っていたことがバレたが、あまり日本では問題にしていないようで、この件に関して動きは鈍い。
今のJOCのトップは柔道の金メダリストだが、この人物どう見ても人が良いだけでトップに収まっただけで、その言説、識見はいただけなく、選手馬鹿の見本のように感じるが、本人は一生懸命やっている感があって余計見苦しい。
元々、東京オリンピック開催は辞めた安倍が花道の様に仕組み、コロナ対策の無策から放り出してしまったが、東京に誘致する時の演説で福島原発の問題は全てコントロールされているなどと大嘘を付いて東京に決まったが、福島原発のコントロールなど端緒に着いたばかりが実情。
特に増え続ける放射能汚染水は敷地内に貯蔵タンクを次々と造って溜めていたが、溜めているだけで何の解決策はなく、来年中にはタンクを造るスペースがないなどと言い出し、海に放流する案が練られ何兆円もの金を注ぎ込む廃炉作業その物にも疑問符が付けられている。
こういう嘘まみれ、底なしの金食い虫である東京オリンピックなどやらない方が良いと思う人が増えるのは当然で、止めることが傷を大きくしないかも知れないし、新型コロナだって収まるのかどうかも分からない。
1964年10月10日は東京オリンピックの開会式の日で、前日は大雨が降って開会式はどうなるかと日本中で心配したが当日は打って変わった秋晴れで、奇跡はあるのだなとテレビ中継を見た記憶がある。
オリンピックが何たることか分からない頃だから、素直に感動し、選手達の奮闘に興奮したが、今やオリンピックの薄汚い裏面が分かってとても以前のように応援をする気はないし、オリンピックなどなくても良いと思っている。
安倍を引き継いだ菅も恐らく秋田の田舎で、東京オリンピックを見て興奮した口だと思うが、この世代はオリンピックは絶対無二と刷り込まれているから、とても中止という判断は出来ないだろうが、最近学術会議問題で言い出した『総合的、俯瞰的判断』で『オリンピックは中止』と判断したら相当評価は上がると思うがどうだろうか。
なお、蛇足だが『総合的、俯瞰的判断』などという言い回し、何を言っているか分からないし、頭の悪い役人が辞書から引っ張り出して体裁を付けたものにしか見えず、図らずも菅の国語読解力が分かってしまった。

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