2021年12月16日、台風22号(フィリピン名=Odette=オデット)がセブ島中央から南部を直撃し、それ以降島内の電気、水道、通信などは全く駄目になり小生宅に電気が復帰したのは10日後の25日で、その間のセブの様子と被災生活を順を追って綴る。

【写真-1 台風が去って一夜明けての玄関前の状態。左に写るは樹齢20年を超え椰子の樹に覆い被さるように繁った自慢のブーゲンビリアの大木であったが見る影もなし。庭にはどこからか吹き飛ばされた屋根のトタンや残骸が多く散乱するが奇跡的に窓への直撃はなかった】
フィリピンの東方海域は台風の発生地帯で、ここで発生した台風はフィリピンに上陸した後に針路を右に回り込んで日本へ向かうのが定石で、そのためフィリピンは台風による被害が年中行事のように起きているが、その被災地域はセブ島北方に連なるレイテ島、サマール島に偏っていた。
そんな中、セブ島北部はレイテ島に近いために、2013年11月の100年に1度ともいわれた超大型台風30号『ヨランダ』で大被害を被ったのはこの北部地域で、そこから60~100キロ近く離れたセブ市を中心とした都市圏はほとんど無傷であったために、今回のオデット襲来に対してあまり危機感は持っていなかった。
通常、台風襲来となれば水や食料、或いはラジオなどを用意するものだが、セブに住み始めてそういった事前の用意などした覚えがなく、ヨランダの時も襲来時に窓から外を見て強い雨と風の中で歩く人を目撃し、大したことはないと思った呑気さであった。
今回もセブ方面にヨランダ以来の大型台風が来るとは報道で知ってはいても、それ程危機感は持たず迎えた12月16日、その日の午前中にミンダナオ島最北端スリガオ地方に上陸したと聞いてもいつもの強い雨と風程度で終わるだろうと思っていた。
それが、セブに接近すると見られる当日夜10時から停電になると電気会社から知らせがあり、いつもなら突然停電しても知らん顔の会社にしては珍しいなと思い、台風で予防策を取っているのだろうと好意的に考えるが、といって特に停電に対しての対策は取らなかった。
そうして日暮れになった6時半頃に突然停電となり、早速ローソクを用意して夜に備えるが、まだ風が強く吹いている訳ではなく予告時間よりずいぶん早いなと思うものの、いよいよ台風がセブに接近するのかと思うものの切迫感はなかった。
やがて灯りの消えた市街地は風と雨が強くなり出し、これは台風直撃だなと思いながら暗い中ローソクを点して横になっていると、吹き募る風と雨は強くなり戸外では何かが吹き飛ばされる音が無数に聞こえる。
窓からそっと暗い庭を見ると植えられている椰子の樹の幹が風で左右に激しく揺られているのが分かり、折れなければいいなと心配するが運を天に任すしかなく、早いところ台風が去ってくれればと、ローソクの芯の灯りの揺らめきで風の向きを見ていた。
ローソクの灯りの揺らめきが徐々に向きを変えているなと思っていると、夜の10時過ぎ頃から静かになり出し、これは台風の目に入ったかと思ったが、そのまま台風は通過し、台風の去った夜の街は車も通らず妙にシンとしていた。
停電なのでそのまま寝入るが翌草朝、恐る恐る庭を見ると椰子の樹は無事であったが、繁っていたブーゲンビリアは見る影もなく、庭にはどこからか飛んで来たトタン板や残骸が散乱し、車を置いていた小屋の屋根は3分の2以上吹き飛ばされていた。

【写真-2 通り沿いの建物は何らかの被害を受けていて、特に看板などはかなり吹き飛ばされていた】
これは大変だとカメラを持って写真-2の通りに出ると、普段は渋滞で知られる道路上には吹き飛ばされた残骸が散乱し、人々は早朝にもかかわらず道路上に立ちつくし何やら話しているが台風被害の不安感は伝わる。
この時、電話、インターネットなどの通信手段は全く駄目で、勿論テレビやラジオも通じず被害状況がどうなっているのか分からず、これは復旧まで時間はかかりそうだと思い、家の者に備え付けのタンクに溜まった水を大事に使わなければ後で困ると厳命しても、呑気というか馬鹿というかシャワーを浴びた者がいてこれには呆れた。
電気はなくても困らないが水は不可欠で、飲料水は20リットルのポリタンクを常時何本も確保しているので慌てることはないが、水洗トイレになっている今はトイレに使う水の確保が大事で、小生は小の方はプラスチックのボトルで用を足し、大の時にまとめて流すようにした。
そうした努力も数日でタンクの水はなくなり、このタンクへは庭にある井戸から汲み上げて満たすようになっているが、肝心の電気がないためにモーターを動かせず宝の持ち腐れとなってしまった。
泥棒を捕まえて縄をなうこととはこのことだが、エンジン発電機を探して中国系の知人を通じて探してもらったところあるというのでダウン・タウンまで行かせるが、こういう時は口約束よりは現金を持って来た方が強くて発電機はそちらに売られてしまい、怒っても何にもならず早い者勝ちである。
このエンジン発電機、実は拙宅に小さいのがあって、これはアメリカの知人が相当前に送ってくれたものだが120ボルト仕様で240ボルトのフィリピンには使えず、仕舞い込んでいたものだが改めて出してもどうにもならず、どうして240ボルトに使えるように直さなかったのかと悔やんでも後の祭り。
かつて日本の家電をフィリピンに持って来てトランスを使って100ボルトに落として使ったことがあり、ステップ・ダウン用のトランスは小生宅にいくつもあり既に埃に塗れているが、120ボルトを240ボルトにするステップ・アップ用のトランスというのは特殊で試しにネットで調べたら結構高額であることが分かった。

【写真-3 他の通りに行くと電柱がバタバタと倒れていて、これは尋常ではない被害を受けたとようやく実感する】
写真-3は写真-2と同じ通りだが、コンクリート製の電柱が根元から折れていて、いかに強い風が吹いたか分かるが、この通りでは見た限りでは電柱が倒壊しているのは見えず、本来ならば道路側に倒れるのだろうが他の電線に支えられて倒壊は免れている。
それにしてもコンクリート電柱が弱いのか製造方法に手抜きなのか欠陥があったのかその両方なのかも知れないが、折れた場所を見ると細い鉄筋がいい加減に入っていて、コンクリート自体も崩れ方から品質不良ではないかと思った。
このため電気の復旧は早いのではと思ったが、実際は市内各地で電柱はなぎ倒されセブ島の南部地方などはかなりの打撃を受けていて、それが分かったのは数日後だがまあ何とかなるというのが多くの人の気持ちであった。【続く】
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