中学生の時に日本の実家から歩いてすぐの所に区立の図書館が開館し、それ以来数々の図書館を利用し、日本とフィリピンの代表的な図書館について綴る。

【写真-1 三角形の建物が特徴的な日比谷の図書館】
実家の近所に出来た図書館は木造モルタル造りの2階建てで、2階に閲覧室はあったが勉強で訪れる者ばかりで、小生も中学校から各学校に別れた小学校の同級生とそこで良く逢ったが、勉強よりも1階に在った雑誌閲覧棚の週刊誌や月刊誌を読んで時間を過ごすことが多かった。
高校生になって写真-1の日比谷図書館へ行くようになったが、母親は図書館へ行ってくるというと無条件で小遣いをくれたが、ここも常に列に並ぶ必要があって、また年齢層も高く快適な図書館とはいえず、図書館よりも帰りに日比谷の映画街に出て映画を観る方が想い出も多い。
日比谷図書館の前身は『東京市日比谷図書館』で1908(明治41)年に開館し、当時の建物の写真を見ると正面屋上に丸いドームを持つ堂々とした古典的な明治建築で、関東大震災でダメージを受け、1945(昭和20)年5月の空襲で焼失する。
写真-1の現在の建物は1957(昭和32)年に竣工し、三角の形状は独特で、2006(平成18)年にはこの間取り壊されてしまった『中銀カプセルタワービル』などと一緒に近代建築250選に選ばれ、これを書くまでは知らなかったが、2011(平成23)年に千代田区に移管されて現在は『千代田区立日比谷図書文化館』と名を変えている。

【写真-2 国会議員はほとんで利用しない国会図書館】
日本の図書館を代表するのは『国立国会図書館』で、国会と名前が入っているように元は国会議員の調査立法用に作られた図書館で、1957(昭和32)年に旧ドイツ大使館跡地であった現在地に前川國男設計で最初の建物が建てられ、衆参図書館に、帝国時代の図書館であった上野図書館や、赤坂、三宅坂に分散していた図書を収蔵して開館。
写真-2は国会図書館入口から国会議事堂を望んだ一枚で、確かに国会に近い位置に立地しているのは分かり、ここに行くには地下鉄千代田線『国会議事堂前』で降りて議事堂裏の通りを歩いて行くが、常に警察の警備、公安の眼があって日本で最も感じの悪い通りでもある。
法律によって全ての官公庁、団体及び個人は国会図書館に『納本』する義務があり、小生の母親が句集を出したことがあって、果たして納本(個人は一部)したかどうか分からないが、小生の場合、絶版になった書誌や雑誌を調べたが情報の宝庫であることは間違いない。
しかし通っていた頃は、絶版した本の多くはマイクロ・フィルム化されているためにかなり読み難かったが、近年はデジタル化が進んで、オン・ラインでも検索して見られるようになった。

【写真-3 コロナ禍で今は営業を止めた国会図書館内食堂】
同図書館本館最上階の6階に食堂があって、ここの食堂は官庁内にある食堂の中では充実して安いとの評判で、ここの日替わり定食を食べるのが楽しみで通う程であったが写真-3はその見本で、ご飯類、麺類、喫茶類と豊富で、それだけ人の出入りが多いということなのだろうが、もう一つ本館内に喫茶店がある。
この本館の食堂も2020(令和2)年に営業を終了していて、国会図書館も新型コロナ蔓延時期は閉館していたであろうから、終了せざるを得なかったようだ。この国会図書館も今の政治家は本を読まないし、調査もオン・ラインで出来るような時代では『国会』という表記を取るべきではないか。

【写真-4 上野公園内にあり今は国立子ども図書館となった】
写真-4は上野公園内にある現在は『国立国会図書館国際子ども図書館』と名前を変えているが、前身は戦前に唯一在った国立図書館で、当時は『帝国図書館』と名乗っていて、写真-4の建物は1906(明治39)年竣工で、戦火を免れた。
小生の母親も女学校時代に通ったという話を聞いていて、この図書館には一度入ったことがあったが、その頃は外観も中も痛んでいた感じはしたが、後年子ども図書館として発足するために修復、改修が成され、外観は昔のままで内部はエレヴェーターを設置するなど近代的な図書館に生まれ変わった。

【写真-5 24時間オープンという体制であったが今はどうなっているか】
フィリピンは『貧困対策』がいつの時代でも最重用課題の国のために文化的な面に支出する財政余裕のない国だが、スペイン及びアメリカの植民地時代には壮大な古典様式の建築が各地に造られ写真-5は『Rizal Memorial Library and Museum』と名付けられているセブの図書館である。
同館は1939年に開館したが、今は『オスメニャ通り』といっているが、その当時はアメリカの政治家の名前である『ジョーンズ通り』と命名された通り沿いに造られ、この通りはセブのダウンタウンから一直線に伸びる片側4車線のセブを代表する通りで、現在のセブ州庁舎まで通じている。
この図書館とセブ州庁舎の設計者は同じ人物で州庁舎の竣工は1938年になるが、当時の写真を見るとジョーンズ通りと州庁舎へ至る一帯は原野の広がる新開地で建物はほとんどなく、都市計画に基づいて開発されたと分かるが、現在は雑多なビルが建ち並んで都市計画があった面影など全くない。
この図書館にも何度か行っているが、図書館というには蔵書や設備などお粗末さは隠せなく一時閉鎖していたこともあったが、2010年に修復、改修をして図書館、博物館とホールを持つ施設に生まれ変わったが、今のネット時代に元々本を読む習慣のないフィリピン人が煩雑に利用しているかどうかは分からない。

【写真-6 戦前の国立図書館は歴史的建造物が使われていた】
マニラのリサール公園近くにフィリピンの国立図書館があって、写真-6はその正面入り口方面を見た様子だが、現在の英名は『National Library
of the Philippines』で、1887年にスペイン植民地政府の建物が連なるイントラムロス内に開館したのが始まりとされている。
その後、図書館建物は各地の建物を変遷し、アメリカ植民地時代にはかなり充実していたが、戦時中のマニラ市街戦などの影響によって蔵書は被害を受け、1961年になって音楽ホールなどもある総面積1万8400平方、閲覧者1500人以上可能な写真-6の建物が竣工し現在に至る。
同図書館へは行ったことはないが、周辺には戦前の戦火を免れた古い建物が残っていて、また同図書館内にはフィリピン独立宣言や国歌の元原稿、国民的英雄リサールが書いた著作の原稿など貴重なフィリピンの文献も多数あり展示しているというので一度訪ねてみたいと思っている。

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