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1972年にフィリピン全土に戒厳令を布き、反対派を弾圧し20年近く独裁政治を続けた第10代大統領のマルコスの遺体が首都圏タギッグ市にある国立『英雄墓地』【写真】に埋葬された。

マルコスは1986年の繰り上げ大統領選で不正選挙を行い、当時の国防長官(エンリレ)や参謀次長(ラモス)など国軍の決起を受けた『エドサ政変』で一族郎党、取り巻きがハワイに逃亡したが、1989年に当地で死亡した。
その後遺体は1993年、出身地であるルソン島北イロコス州バタックに移送され、現地で冷凍保存されていた。
マルコス一族は時間と共に徐々に復権し、今回の埋葬で車椅子に乗った妻のイメルダは北イロコス州選出下院議員、娘は北イロコス州知事、息子は24人しか居ない上院議員に当選し、2016年5月に行われた副大統領選において僅差で落選するまで力を付けた。
マルコス家はプロパガンダの意味もあって、マルコスの遺体を英雄墓地に埋葬することを長年求めていたが、歴代政権は国論が2分することを恐れて、埋葬の許可を出さなかった。
しかし第16代大統領に当選したドゥテルテは、自分の父親がマルコス政権時代に閣僚であったことや、自身も戒厳令時代に検事に登用された経緯もあってマルコス家に近く、マルコスの英雄墓地埋葬を8月に行うと公言していた。
しかしながら、戒厳令下で虐殺された被害者家族など人権団体などからの最高裁への提訴によって、埋葬は一時差し止めの状態が取られた。
その後最高裁では差し止めについての評議が行われたが、結論は出ず一時差し止めについての判断は延期された。
11月8日になって、最高裁は最高裁判事の意見が割れる中、一時差し止めの申し立てを却下し埋葬を認めるに至った。
その後、上院で埋葬反対決議案が上程されたが、ドゥテルテの意向を組んだ多数派によって、11月15日に否決された。
翌16日から、北イロコス州の地元では英雄墓地埋葬への祈祷会が始められ、マルコス家が仕組んだシナリオが動き出し、フィリピン国軍のヘリコプターで遺体は北イロコス州から英雄墓地へ移送され、マルコス一族と関係者で埋葬が行われた。
しかし、遺体埋葬が警察当局によって公にされたのは埋葬1時間前で、そこまでコソコソ、隠密にやる必要があるのかとの批判が強く、ドゥテルテがTPPでペルーに行っている間を狙った演出ではないかとの指摘もある。
マルコスの英雄墓地埋葬を巡ってはマルコスの大戦中の軍歴がアメリカ側資料でははっきりしていないこともあり、マルコスによる捏造説もあって、軍の英雄を埋葬するには相応しくないとの説もある。
なおこの英雄墓地は軍関係者だけではなく、かつての大統領や民間人も埋葬されている。
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