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 5月に行われた大統領選に立候補し最下位で落選したミリアム・D・サンチャゴ前上院議員が9月29日、患っていた肺癌によって死亡した。享年71。
サンチャゴは歯に衣を着せぬ舌鋒の名物議員で知られ、反腐敗、反権力の姿勢から各界の支持は多かった。
サンチャゴは1945年6月15日、パナイ島イロイロ市で生まれ、国立フィリピン大学文学部を首席で卒業後、法学部に入り、その後弁護士資格を得、アメリカ留学などを経て司法省に入った。
マルコス政権時代にケソン市地裁の判事になり、アキノ(母)政権下で出入国管理局長に任命され、汚職の激しい入管の綱紀粛正を計った。
その後農地改革省長官を経てアキノ政権の後任になる1992年の大統領選に立候補。
選挙結果はアキノ後継者とされたラモスが534万票で当選したが、この時の大統領選は有力候補が林立した中、サンチャゴは首都圏ではラモスを上回る健闘を示し446万票を獲得して次点となった。
この時、サンチャゴはラモス陣営の選挙不正を根拠なく指摘し、反ラモス運動を展開したが尻切れトンボで笑い者になった。
その後1995年の上院選に立候補し、12人中6位で当選。この時のトップ当選は後に大統領となるアロヨで、アロヨは前回の上院選では落選の苦杯を舐めていた。
サンチャゴが再選を狙った2001年上院選では順位15位で落選の憂き目に遭う。この時のトップ当選は後に副大統領となるニュースキャスターのカストロであった。
3年の浪人の後返り咲きを目論んだ2004年上院選では見事7位で当選。この時のトップ当選は2010年副大統領選、2016年大統領選に出馬しながら何れも次点という結果のロハスであった。
3度目の当選を狙った2010年上院選では3位で当選する健闘ぶりで、人気の高さが分かり、この時のトップ当選は俳優でもあるレビリアで、2位で当選したエストラダの息子ジンゴイと共に現在汚職容疑で逮捕され長期拘置中。
2012年には猛運動の介があって国際司法裁判所の判事に任命されるが、一度も赴任しないという失態を演じ2014年に辞任し、フィリピンの評価を落とした。
そして、上院議員任期切れの2016年大統領選に立候補したが、何を思ったか副大統領としてペアを組んだのが独裁者マルコスの無能な息子で、これには長年支持を続けていた層も呆れて、大統領選の結果は最下位の5位に沈み、得票も145万票と激減。
支持者からは豊洲問題でその無責任さを追求されている、東京都元知事の石原と同様晩節を汚したと見られている。
サンチャゴは2003年の大学生であった息子の自殺、2016年に元内務自治省次官であった夫に先立たれるなど家庭内の波風もあったが、葬儀は3000人の人々に見守られて行われ、棺はマリキナ市にある息子の墓の隣に埋葬された。
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