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国民的英雄
ホセ・リサール(1861−1896)
 1861年6月19日ラグナ州カランバ町に生まれたホセ・リサールはアテネオ・デ・マニラ文学部、サント・トーマス大学医学部に学んだ後スペインに渡り医学、哲学、文学を学ぶためマドリード中央大学の門をたたいた。リサールは愛国的な作家であると同時に彫刻家、眼科医、言語学者、発明家、画家でもあった。
 リサールの愛国的小説「ノリ・メ・タンヘレ(我に触れるな)」や「エル・フィリブステリスモ(反逆=邦訳:反逆・暴力・革命)」は平和的手段によって圧制者と戦う多くのフィリピン人を勇気づけた。
 リサールは1887年に一度フィリピンに戻ったが、彼の小説にスペイン人司祭が激怒しているため国を離れろという忠告を受けて翌年再び欧州に向けて出国した。この途中、リサールは日本に1ヶ月半ほど滞在している。
 1889年、国外追放された仲間がマドリードで発行している機関紙「ラ・ソリダリダッド」に寄稿、自由思想を高揚させた。
 1892年、再びフィリピンに戻り平和的な手段による改革達成を目指す「ラ・リガ・フィリピナ(フィリピン人同盟)」を結成した。メンバーにはアンドレス・ボニファシオやアポリナリオ・マビニもいた。しかし、直後に当局に捕らえられ流刑となる。
 リサールは、著作を通じてスペイン人圧制者と戦い武力闘争を奨励しなかったが、結局反乱、扇動、違法結社の無実の罪で死刑を宣告され1896年12月30日にバグンバヤン広場(現在のリサール公園)で銃殺された。

銃殺刑になる数分前のシーン

「ラ・ソリダリダッド」の記者、マルセロ・デル・ピラール(中央)、マリアノ・ポンセ(右)と共に