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国民的英雄
ホアン・ルナ(1857−1899)
 1857年10月23日北イロコス州バドック町で生まれたルナは1874年アテネオ・デ・マニラ大学文学部を卒業。彼は船員を経て1877年にマドリードへ渡り美術アカデミーで絵画を学び、後に最高のフィリピン人画家と認められた。
 1881年、マドリードの美術博で彼の作品「クレオパトラの死」が銀賞を受賞。その後1884年には「スポラリウム」が同じ美術博で金賞を受賞した。さらに、1888年のバルセロナ博では「レパントの戦い」が金賞を受賞。最後の作品として知られるレガスピとシカツナの盟約を描いた「エル・パクト・デ・サングレ」は、1885年のパリ万国博で金賞を受賞した。
 1886年にフランスで結婚するも盲目的な怒りから1892年に妻と義母を殺害。しかし翌年、裁判で無罪となった。
1894年、18年留守にしていた祖国に帰国するが2年後の1896年初頭には今度は日本に出発。同年「バリンタワクの叫び」の数週間後に帰国し、9月には「カティプナン(KKK)」との関わりを疑われ投獄される。翌年恩赦により解放されスペインに逃れる。
1898年の革命政権下ではパリの特使として任命を受けている。弟の死の知らせを聞き急遽香港に戻るが、1899年12月7日心臓マヒのため死去。

ルナ兄弟(左:ホアン、右:アントニオ)

ホアン・ルナ(左)の住まいにて仲間と共にフェンシングの練習
中央がリサール、左の奥はルナの妻(1886年 パリ)