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国民的英雄
ベニグノ・ニノイ・アキノ(1932−1983)
 1932年11月27日タルラック州に生まれたアキノは、アテネオ・デ・マニラの一般教養課程を終えた後にフィリピン大学で法律を専攻したが3年で中退した。
 17歳で「マニラ・タイムズ」の記者となり、後にラモン・マグサイサイ、カルロス・ガルシア、ディオスダド・マカパガル各大統領の補佐官を務める。
 1954年、アキノは共産反乱軍の指導者ルイス・タルクとの降伏交渉をまとめたことでマグサイサイ大統領からフィリピン国民への功績を称えられて最高位の勲爵位を与えられた。
 22歳でタルラック州コンセプション町長に選ばれ、25歳でタルラック州副知事に当選。30歳の時にはタルラック州知事選始まって以来となる全自治体完全勝利で知事に当選した。
 アキノは政界の「ワンダーボーイ」と呼ばれたが、現職のマカパガルを破って大統領に就いたマルコスの最大の政敵となった。アキノとマルコスの対立は、マルコスがマニラ首都圏と周辺地域に戒厳令を布告する計画をアキノが暴露し非難した72年9月に最悪の事態に至った。
 逮捕されたアキノは77年に死刑判決を受けたが恩赦を得て終身刑に減刑され、80年に米国へ亡命した。マルコスの健康悪化から後継者問題が浮上する中で忠告を無視して帰国した83年8月21日、マニラ国際空港(現ニノイ・アキノ国際空港)で暗殺された。彼の死は、マルコス失脚の引き金となった86年の二月革命(EDSA革命、ピープルパワー革命)につながった。

マニラ国際空港での暗殺現場