ロゴ
Date:
電子メールアドレス(半角):
歴代大統領
英雄
歴史写真館
 
基礎講座−歴史
先史時代からスペイン来寇まで
 大小7000余の島々からなるフィリピン諸島に最も古く移り住んできたのはネグリト族といわれる。2万5千年から3万年ほど前にアジア南部からマレー半島を経て移住してきた。その後、紀元前5千年もしくは1万年頃から中国南西部付近を源流とするマレー人が、新石器文化を伴ってフィリピンにも渡来してくる。紀元前1500年頃から移住してきたイフガオやボントック族等は初期金属文化を持ち込み、紀元前500年頃から紀元後数世紀にかけてやってきたタガログ、イロカノ、パンパンガ族等やビサヤ諸島のセブアノ族など、現在のフィリピン人の大部分を占める人々の先祖のマレー人は鉄器などをもって移住してきた。
 彼らは、30から100家族のバランガイといわれる集落を形成し、首長がそれを束ね自由人の他奴隷も存在したがその支配はゆるやかなものであった。フィリピンでは、数多くの地方語があるが、使用される古代文字はバイバインというアルファベットの一つで、母音3、子音14の計17文字で構成される。
 フィリピンにイスラム教が伝わったのは14世紀頃からだと考えられ、1390年頃にはスマトラのラジャ・バギンダがスルー諸島にやって来る。1450年頃にはその跡を継いだハシム・アブバカルによってフィリピンで最初のイスラム王国であるスルー王国が成立する。1475年頃にはジョホールからやって来たシャリフ・カブンスワンがミンダナオのコタバト地方を征服する。イスラム教はスペイン人がやって来る頃までにその勢力をマニラ湾まで伸ばしていた。
 中国人との関係を見ると、2世紀頃にはフィリピンの存在は中国で知られており7世紀頃から移民が始まったとされ、10世紀頃には通商が確立されていた。1372年に初めてフィリピンから朝貢使節が明に訪れ、1421年まで朝貢関係が続く。
 マゼランがサマール島に上陸したのは1521年3月17日で、翌月の14日にはセブ島の数百人に洗礼を行うが、2週間後の27日にはマクタン島のラプラプ率いる原住民との戦闘中に殺される。その後スペインは3度に渡ってメキシコより遠征隊を送るが、4度目のヴィラロボス探検隊にいたってようやくサマール、レイテ島に到達する。その時、時のフェリペ皇太子にちなんで「フィリピン諸島」と命名される。そして王となったフェリペ2世は1559年9月、メキシコ副王ヴィラスコにフィリピン征服と植民地化を命じ、この後メキシコ副王領としてのフィリピン征服事業が始まる。
 1564年11月、レガスピの遠征隊がメキシコを出発して翌年4月にセブを制圧、1569年にはパナイを征服した。1570年5月、レガスピはムスリム王ラジャ・ソリマンの支配するマニラに攻撃をかける。そして翌年5月にはマニラを占領、レガスピは初代総督としてマニラを首都と決める。その後約半世紀をかけてルソン島、ビサヤ諸島を平定することとなる。
 スペインは1578年ホロ島を攻撃、イスラム教徒のモロ族征服を開始する。1596年には初めてミンダナオ島を攻撃するが、モロ族も1599年ビサヤを攻撃し反撃する。1637年にはコンクエラ総督がミンダナオ島、スルー諸島に遠征してスルタン・クダラットと激戦を展開する。だが結局スペインは最後までムスリム系マレー人であるモロ族の支配するフィリピン南部を征服することは出来なかった。

サイトの目的ご意見・ご質問リンク