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国民的英雄
ラモン・マグサイサイ 【就任期間:1953年−1957年】   出身:サンバレス州
 第7代大統領。第3次共和国第3代大統領。 1907年8月31日サンバレス州イバ町生まれ。フィリピン大学で機械技師を目指したが方向転換、33年ホセ・リサール大学商学部卒業。 バス会社の支店長を務めていたが、第二次世界大戦中はフィリピン軍を統合した米極東軍(USAFFE)のゲリラとして活躍、米極東軍のダグラス・マッカーサー最高司令官からサンバレス州の軍政知事に任命される。 1946年、自由党公認としてサンバレス州から下院選に出馬し当選、政界入りを果たす。50年、キリノ大統領から国防長官に任命されフク団の反乱を鎮圧して国民的英雄となった。 1953年の総選挙では与党自由党からの大統領選出馬を断念、自由党を離党して国民党から大統領選挙に出馬、キリノを破り大統領となる。軍の再編や汚職対策、農地改革を押し進めたが、あらゆる層に対する改革の約束を果たすことはできなかった。それでも清廉潔白な政治家として国民の高い人気を維持した。 ただ、このころから反米ナショナリズムが台頭、親米派のマグサイサイを批判して基地協定やベル通商法の改定を迫る声があがる。この結果、ベル通商法の改定(54年)や米国の意向に反した日比賠償協定(56年)が結ばれ、民族主義的な教育を目指すリサール法を制定する。  その一方で米国の友人や支援者を大事にした反共親米家のマグサイサイは、1954年9月8日にマニラで結成された共産ゲリラ撲滅を主目的とする米国主導の東南アジア条約機構(SEATO)への参加を積極的に押し進めた。 1957年3月17日、ミンダナオ島へ視察に行く途中、セブのマニュングァル山付近で起きた飛行機事故で死亡した。享年51歳。 アジアのノーベル賞とも呼ばれるマグサイサイ賞はマグサイサイにちなんでロックフェラー財団からの50万ドルの寄付金で創設されたもので、アジアにおいて政治、社会奉仕、社会指導、報道・文学、国際理解の5部門で功績を残した個人や団体に与えられる。2000年には40歳以下の個人に与えられる新興指導の部門がフォード財団の支援で増設されている。

大統領の素顔
協力:フィリピン国立図書館
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