Date:
国民的英雄
フェルディナンド・マルコス 【就任期間:1965年−1986年】   出身:北イロコス州
 第10代大統領。第3次共和国第6代大統領。 1917年9月11日北イロコス州サラット町生まれ。フィリピン大学で法律を学ぶ。大学始まって以来の秀才といわれるほど伝説的頭脳の持ち主。 大学在学中の38年に父親の政敵を3年前に射殺した罪で逮捕されるが司法試験にトップで合格。39年地裁で有罪判決を受けるが翌年最高裁で無罪判決。 第二次世界大戦中は抗日ゲリラを指揮したという話しだが確かなことはわかっていない。1946年から47年、ロハス大統領の法律補佐官を務める。49年北イロコス州から下院選に出馬、史上最年少で当選。54年イメルダ・ロムアルデスと結婚する。 1965年、自由党の有力議員として大統領選出馬を目指したが党の公認を得られず国民党に移籍、現職のマカパガルを破って大統領となる。 経済政策で一定の成果を上げて1969年に再選されるが、このころ共産党が再建され軍事部門の新人民軍(NPA)が結成される。また、ミンダナオの分離独立運動が激しくなる。 1972年9月21日、反政府勢力から国家を守る為と主張して、戒厳令を布告。米国はこれを黙認する。マルコスは議会を停止して反マルコス派を一斉に逮捕した。立憲権威主義と呼んだ独裁体制の正統性を維持するため選挙の実施、政治体制の改変を行う。73年には日本との通商拡大をねらって、対日不信などで批准されなかった日比友好通商航海条約(60年調印)を強権により批准。アジアの中で特に大きかった反日感情がマルコスの対日政策によって好転する。 1981年1月17日、戒厳令を停止して反マルコス派ボイコットの中で11年ぶりの大統領選挙を行い再選されさらに6年の任期を得たが、第二次石油危機による世界同時不況や、クローニーといわれる取り巻きによる利権漁りで経済は悪化をたどる。 1983年、健康悪化による後継者問題が浮上してくる中でマルコス最大の政敵といわれたアキノ元上院議員が亡命先の米国から警告を無視して帰国、マニラ国際空港で暗殺される。この結果、かつてない広範な反マルコス運動がわき起こった。与党内からもマルコス離れが進んでくると1986年2月の大統領選挙繰り上げ実施を決めた。 選挙は開票結果をめぐって混乱した。アキノが勝利宣言をする中、国民議会は与党単独でマルコスの当選を宣言。これに対しアキノ陣営は非暴力による不服従運動を展開、軍ではエンリレ国防相とラモス参謀副総長らが決起してマルコス退陣を迫る中でシン枢機卿の呼び掛けに応じた市民のピープルパワーに追いつめられ遂に米軍機でハワイに亡命する。 1989年9月28日、亡命先のハワイで病死。享年72歳。 死後も不正蓄財資金やイメルダ夫人をめぐってマスコミをにぎわす。

大統領の素顔
協力:フィリピン国立図書館
写真の部分をクリックすると画像が変わります。