ノリ・デ・カストロ 副大統領 |
 49年7月6日、東ミンドロ州ポラ町に生まれる。"カバヤン"のニックネームで知られるラジオコメンテーター、テレビキャスター。
ABS-CBN放送でゴールデンタイムのニュース番組「TVパトロール」のメインキャスター、社会問題などを扱う人気番組「マガンダン・ガビ、バヤン(今晩は、フィリピン)」の司会などで茶の間の人気者となる。また、放送人として多くの賞を受けている。
01年の中間選挙で上院選に無所属で立候補、1,610万票を獲得してトップ当選を果たした。政党には所属していないが与党陣営に身を置く。
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エドゥアルド・エルミタ 官房長官 |
 35年7月13日生まれ、バタンガス州バラヤン出身。二月革命後のアキノ政権下で86年から88年まで国軍参謀次長、88年には参謀副総長、89年から92年には国防省次官を歴任。92年から01年まで3期連続で下院議員(バタンガス州1区)を務める。
ラモス政権では96年に和平協定が結ばれたモロ民族解放戦線(MNLF)との和平交渉で政府交渉団の副団長を務めた。
01年にアロヨ政権が誕生すると和平担当大統領顧問に就任、直後にメルカド国防長官が辞任した際には長官代行を一時務め、03年7月の反乱事件で引責辞任したレイエス氏の後任として国防長官に就任。03年6月にはモロ・イスラム解放戦線(MILF)との和平交渉団長を兼任。04年総選挙後の内閣改造で国防長官から官房長官に異動。
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イグナシオ・ブンニェ 報道長官兼大統領報道官 |
 アテネオ・デ・マニラ大学で政治学および法学を修めた後、アジア経営研究所で経営学修士号を取得。旧マニラ・タイムズのラジオ局DZMTのリポーター、英字紙スターの記者として活躍。アヤラ・インベストメント・アンド・デベロップメント社やバンク・オブ・ザ・フィリピン・アイランズ(BPI)をはじめアヤラ・グループで法律家として様々な管理職を務める。
二月革命後の86年、アキノ大統領から首都圏モンテンルパ町長に指名され、88年の選挙で同町長に当選、 95年にモンテンルパが市(高度都市化市)に昇格した際も初代市長に当選、3期連続12年間モンテンルパの発展に尽くした。
98年下院選に出馬して当選、地方自治体への権限委譲運動を擁護し続けた。02年7月16日、カブレラ報道長官の辞任後アファブレ大統領総務局長官が代行を務めていた報道長官に就任した。03年1月、大統領首席補佐官に指名されたティグラオ氏の後を受けて大統領報道官に指名された。
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アルベルト・ロムロ 外務省長官 |
 タルラック州カミリン出身のエコノミスト。デ・ラ・サール大学商学部を経てスペインのマドリード大学法学部で法学博士号取得。
アキノ政権下で予算管理省長官、開発予算調整委員会委員長、フィリピン中央銀行金融委員会委員を歴任。上院議員に当選後は任期中に与党院内総務を5年間務める。
アロヨ政権で財務長官に任命されるが、レナト・デ・ヴィリア官房長官の退任で後任として2001年5月官房長官に任命される。04年総選挙後の内閣改造で官房長官から外務長官に異動。
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マルガリート・テベス 財務省長官 |
 1961年にスペインのマドリード中央大学文学部卒業、ロンドン市立大学で経営学を学び、ウィリアムズ大学(マサチューセッツ州)で開発経済学修士号を取得した。銀行家で経済学者、下院議員も務めた。
87年に東ネグロス州3区から下院議員に当選して政界入り、外国銀行の国内参入自由化に関する法案などを策定した。98年から00年までシンクタンクの代表、その後はランドバンクの頭取を務めた。
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ピーター・ファビラ 貿易産業省長官 |
 1948年8月27日マニラ生まれ。サント・トマス大学卒業、ペンシルベニア大学ウォートン留学。金融畑で30年以上のキャリアを持つ。
メトロポリタン・バンク&トラストの副頭取をはじめセキュリティ・バンク、アライド・バンク、フィリピン・ナショナル・バンクの頭取を歴任。インフラ財源に関する大統領顧問や下院議長経済顧問を務め、フィリピン証券取引所(PSE)やフィリピン証券保管振替機構(SCCP)の会長を務めた。
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ロムロ・ネリ 予算管理省長官 |
 フィリピン大学経営学部卒業、カルフォルニア大学で経営修士号を取得。カンルバン・シュガー・エステートおよびカンルバン・パルプ・マニュファクチャリング企画部長、モービル石油フィリピン財務アナリスト、リバーサイド・ミルズ社長補佐を歴任。
アジア経営研究所助教授、下院議会のシンクタンクである下院予算企画局の代表などを務め、フィリピンで最も優れた経済思想家の一人といわれる。NEDA長官から異動。
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アンヘロ・レイエス 内務自治省長官 |
 45年3月17日、マニラ市サンミゲル地区生まれ。60年クバオ高校卒業。66年フィリピン士官学校を7番目の成績で卒業、陸軍特殊部隊の士官として初めて戦場に出た。その後米国の士官学校で軍事専門分野、ハーバード大学で行政学、アジア経営研究所(AIM)で経営学を修める。
国軍情報部副部長や陸軍第5歩兵師団長、南部方面司令官、陸軍最高司令官を歴任、01年1月の「ピープルパワー2」では国軍トップの参謀総長としてエストラダ前大統領への支持を撤回、当時のアロヨ副大統領を支持して流血の事態を避けた。
アロヨ政権で国防長官を務めたが、03年7月のクーデター未遂事件で引責辞任、その後は大統領府の誘拐対策の責任者に任じられ、内務自治省長官就任後も兼任している
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アベリノ・クルス 国防省長官 |
 1953年4月26日サンバレス州サンメルセリノ町生まれ。アテネオ・デ・マニラ大学で数学学士号取得、その後フィリピン大学法学部卒業、その年の司法試験で7位合格。
国防省(DND)やフィリピン国軍(AFP)の法律業務を担当、比米合同軍事演習の条件策定などにかかわった。01年1月から04年1月まで大統領主席法律顧問を務めた。
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ドミンゴ・パンガニバン 農業省長官 |
 1939年8月バタンガス州に生まれ。フィリピン大学ロスバニョス校で農学士号、フィリピン大学で行政学修士号を取得。
96年4月から01年1月まで農業省次官、01年1月から2カ月間農業省長官、その後04年までレガルダ上院議員の事務所代表を務めた。
04年7月から8月にかけてベトナム、ラオス、カンボジアを拠点に国連食糧農業機関の専門政策顧問として活躍した。
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フランシスコ・ドゥケ 保健省長官 |
 1982年にサント・トマス大学で医学博士号取得。87年にはワシントンのジョージタウン大学で理学修士課程修了。
01年3月から保健省次官、04年10月にはフィリピン健康保険公社の総裁に任命されている。
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ラウル・ゴンザレス 司法省長官 |
 サン・アグスティン・カレッジ(現サン・アグスティン大学)で文学士、95年にはサント・トマス大学で法学士を取得。60年にイリイロ州知事の法律顧問となり、その後上院で労働および移住委員会の上級委員会顧問、下院教育委員会顧問などを歴任する。
95年の選挙でイロイロ市から下院選に出馬して当選、政界入りした。下院副議長を務めた。
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パトリシア・サント・トーマス 労働雇用省長官 |
 同省生え抜きの女性閣僚。46年4月24日生まれ、ミンドロ州サンタロサ町出身。ファー・イースタン大学で文学、国立フィリピン大学で社会科学、米ハーバード大学で行政学を修める。64年から上院議会で事務官として勤務、77年には労働雇用省人材開発部長、82年から87年までフィリピン海外雇用庁に勤務。教育省次官を務めた後再び労働雇用省に戻り公務員委員会委員長に就任している。
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ヘルモヘネス・エブダネ 公共事業道路省長官 |
![]() 1948年12月30日サンバレス州生まれ。0年にフィリピン士官学校で理系学士号取得、その後犯罪学修士号と平和・安全保障の博士号を取得。02年に第13代国家警察長官就任。退官後は国家安全保障顧問に任命された。
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レアンドロ・メンドーサ 運輸通信省長官 |
 国立フィリピン大学土木工学科を中退してフィリピン士官学校に入学、69年に第3位の成績で卒業。フィリピン警察軍少尉として警察の経歴を積み、フィリピン国際犯罪センター所長を務める。
01年3月16日総監に昇進してフィリピン国家警察長官に就任、警察官の給与を他の公務員と同レベルに引き上げるプログラムを推進する。02年7月3日、運輸通信省長官に就任。
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フェ・ヒダルゴ 教育省長官代行 |
 フィリピン・ノーマル大学(PNU)やミリアム大学の研究員、講師などを経て教育省に入省。同省次官。
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ラファエル・ロティリャ エネルギー省長官 |
![]() アンティケ州シバロム町出身。フィリピン大学法学部卒業。ミシガン大学法学部で修士号取得。司法試験合格後、85年にフィリピン大学法学部助教授。89年から96年にフィリピン大学法律センターの国際法律研究所長、91年にはフィリピン大学の総務担当副学長に就任。95年に法学部教授。96年から国家経済開発庁(NEDA)で次官クラスの審議官、04年1月に国営電力公社の民営化を担う電力部門資産負債管理公社(PSALM)の総裁兼最高経営責任者に
任命された。
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マイケル・デフェンソール 環境天然資源省長官 |
 69年6月30日生まれ。フィリピン大学で行政学修士号を取得。92年に最年少でケソン市議に当選、95年にはケソン市3区から最年少で下院議員に当選、エストラダ政権が誕生した98年に再選、野党院内総務に選出された。99年にはアジアウィーク誌で新ミレニアムのアジアの若き政治リーダー20人の1人に選ばれている。
アロヨ政権誕生では住宅問題担当大統領顧問および住宅都市開発調整評議会(HUDCC)議長に任命された。
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ナッサー・バンガンダマン 農地改革省長官代行 |
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エストレリャ・アラバストロ 科学技術省長官 |
 41年2月19日生まれの女性。61年国立フィリピン大学工学部卒業、65年から67年にかけて米テキサス州のライス大学化学科で修士および博士号を取得している。
国立フィリピン大学において食物栄養学科長、出版研究事務局長、家政学部長を歴任した。91年から95年までフィリピン工業エネルギー研究開発評議会エグゼクティブディレクター、97年から98年までフィリピン高等科学技術研究開発評議会議長代理を務めている。95年から長官に任命されるまで同省研究開発担当次官を務めていた。
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ルワルハティ・パブロ 社会福祉開発省長官代行 |
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ジョセフ・エース・ドゥラノ 観光省長官 |
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アウグスト・サントス 国家経済開発庁長官 |
 1971年、国家経済評議会(現在の国家経済開発庁)の経済研究員としてキャリアをスタートさせる。00年3月から同庁副長官。他に全国土地利用委員会、フィリピン輸出入信用機関理事会監査委員会、フィリピン-カナダ開発基金委員会、ユニセフ支援の子供のための国家プログラム助言委員長を務めている。
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