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上院議員プロフィール(野党)
 エドガルド・アンガラ
image 国立フィリピン大学法学部卒業、米ミシガン大学で修士号を取得。70年代初頭にフィリピン有数の法律事務所アンガラ・コンセプション・クルス・レガラ・アベロ(ACCRA)法律事務所を設立。
 81年から87年まで国立フィリピン大学の学長を務め、政界入りのきっかけとなった民間選挙監視機関ナムフレル(自由選挙国民運動)にかかわる。上院選では5位で当選、93年から95年まで上院議長を務める。
 教育、保健、芸術、文化、農業関連の法律に焦点を絞り、特に高校自由化法やいくつかの教育制度改革法などが特に有名。
 また、農業省長官として農業の研究開発に貢献、農業の改善により指導者としての地位を確立、さらに世界貿易における公平な貿易規則のために尽力した。
 エストラダ前大統領の官房長官に起用されたが、「ピープルパワー2」で前大統領が追放されたため在任期間はわずか13日間だけだった。 
 アキリノ・ピメンテル
image カガヤンデオロ市の政治家の家に生まれ、エクサビエール大学法学部を卒業。60年に弁護士事務所を開業、政治家としては71年憲法制定会議で東ミサミス州代表に選ばれ第一歩を踏み出す。
 73年にはマルコス政権に反対したため約3ヶ月間投獄された。マルコス政権中は活動的な自由解放戦士として知られた。
 80年から84年にはカガヤンデオロ市長を務め、アキノ政権では内務自治省長官を務めた。その後、大統領顧問およびイスラム反乱軍との交渉団長となる。87年選挙で上院選に出馬するためこれらのポストを辞任した。
 上院議員としていくつかの重要法案を提出したが、中でも91年地方自治体法、協同組合法、フィリピン・スポーツ委員会法が有名。
 92年の選挙では副大統領に立候補したがエストラダ候補に敗れ、98年に上院議員に再当選した。04年選挙でも再選。 
 セルヒオ・オスメニャ
image 有名な政治家一族であるセブのオスメニャ家に生まれる。父はコモンウエルス(独立準備政府)の第2代大統領ドン・セルヒオ・オスメニャ。国立フィリピン大学、ハーバード大学などで学んだ。
 マルコス政権の戒厳令下で投獄され、後に釈放されて米国に亡命している。いくつかの団体や財団を設立して米国のフィリピン人亡命者の独裁政治反対運動で重要な役割を演じた。米国で不動産業に携わった後、ラカス−NUCD−UMDPの党幹部となる。サンミゲル社などの企業や家業で様々な肩書きを持つ実業家でもある。
 95年選挙で上院に当選、低所得者層の税控除増額のため孤軍奮闘。起業家の育成、生計プログラムの開発を促進する法案も提出している。 
 ルイサ・エストラダ
image エストラダ前大統領夫人、通称ロイ。サント・トーマス大学で精神医学を専攻、54年に医学博士号取得。内外で医療訓練を受ける。62年には、精神保健という新しい分野の先駆者としてダバオ総合病院に精神保健科を設立。
 夫のサンファン町長、上院議員、副大統領時代を通じて貧困層のため多くのプロジェクトを手がけた。代表的なものは、夫と共に89年に設立を援助した「エラップ・パラ・サ・マヒラップ基金」で、全国の恵まれない資格のある生徒に奨学金を提供、99年現在でおよそ1万人の卒業生を送り出している。
 全国各地、特に過疎地でベテラン医師と共に定例医療サービスを実施。庶民派として国民の基本的ニーズを提供する非政府組織の開発プロジェクトを支援、「マレ(女友達)」と名付けられた開発プログラムには上水道プロジェクト、医療サービス、生計、ガーデニング・プログラム、ストリート・チルドレン・プロジェクトなどがある。 
 ジンゴイ・エストラダ
image  63年2月17日、マニラ生まれ。本名ホセ・エヘルシト・エストラダ。父親はエストラダ元大統領、母親はエヘルシト上院議員。フィリピン・マニラ大学経済学部卒業。88年から92年まで首都圏サンファン町の副町長、92年から01年まで町長を務める。エストラダ元大統領の不正蓄財裁判の共同被告人として2年間収監されていたが、保釈が認められた。
 アルフレド・リム
image  29年12月21日、マニラ市トンド地区生まれ。イースト大学経営学部、法学部卒業、防衛大学で安全保障学修士号取得。警察出身で国家警察長官を務める。犯罪組織と妥協することなく対決する姿勢から「ダーティハリー」と呼ばれる。92年にマニラ市長当選、95年再選、エストラダ政権下の00年から01年には内務自治省長官を務めた。マニラ市長時代にはエルミタの歓楽街を閉鎖するなど治安対策に辣腕を振るったが、麻薬対策では密売容疑者の自宅に印を付けるなど行き過ぎた行為で人権保護団体の怒りを買ったことも。現在独身。
 ジャンビー・マドリガル
image  58年4月26日、マニラ生まれ。旧日本軍への協力を拒否して処刑されたホセ・アバド・サントス元最高裁長官とビセンテ・マドリガル元上院議員の孫娘。叔父はコモンウェルス時代の議員でフィリピン社会党の創設者。父方の祖父や叔母も上院議員だった。国内、英国、米国の大学で経済学を学び、その後、海運、不動産、セメントなど一族の事業経営に従事。99年10月、エストラダ政権で児童問題担当大統領顧問に就任、00年10月には子供のための全国サミットを開催、子供の権利保護を誓った。欧州の語学に堪能で、一昨年にフランス人と結婚。
 ホアン・ポンセ・エンリレ
image  24年2月14日、カガヤン州ゴンザガ町生まれ。アテネオ・デ・マニラ大学文学部短期コース修了、国立フィリピン大学法学部卒業、ハーバード大学法科大学院で修士号取得、国際税務の専門訓練を受ける。15年間の弁護士活動で不敗神話を築く。マルコス時代の70年から86年に国防相、72年から86年には国家安全保障会議の議長を兼任、78年から84年には国民議会議員。二月革命ではマルコスに反旗を翻しラモスと共に決起したことで知られる。92年から95年までカガヤン州1区選出の下院議員、95年から01年まで上院議員を務める。
 パンフィロ・ラクソン
image 71年にフィリピン士官学校を卒業、マニラ市立大学で政治経営学修士号を取得。88年には優秀警察官トップテンに選ばれている。エストラダの信任厚く、99年11月には国家警察長官に抜擢された。
 01年5月の選挙で上院に当選、グッド・ガバナンスと治安秩序問題に注力する。法執行官の現状改善と福祉向上を目指す法案を提出。提出した法案にはマネーロンダリング防止法、テロ対策法、全国IDシステムなどがある。また、空軍学校の設置も求めている。
 今回大統領選に出馬するも落選。現在は無所属